サイドB Ver.で考えるあれこれ。

日常で感じたことを、思いつくままに。

【特別でも何者でもない】自分を愛でて生きること

かつて国民的に知られた
とある曲の歌詞で

『No.1にならなくてもいい、
もともと特別なオンリーワン』

という歌詞があった。

そのままの意味で受け取れば
すごく励まされる良い歌詞だ。
でも、もともと特別なオンリーワンって

ある意味物凄いプレッシャーな言葉だ。

小さい頃、よっぽどじゃない限り
どこの親御さんも我が子を“特別”な人間に
なれるよう、一生懸命育ててくれる。
(ここではネグレクトや貧困層等の
社会的問題についてはあえて割愛します)

そして、もともとの素地がある程度ある、
賢くて才能がある人間は努力して
大人になると社会的にも立場上でも

『つまらない仕事ではない、特別な才能を
フル活用した全うな仕事』に就く。

私は、大して頭も良くないし
眉目秀麗でもないし、
ましてや平凡なサラリーマン家庭で
育ったので

“育ちが能力以上の下駄を履かせてくれる”という“VIP待遇”は殆ど受けてこなかった。

それどころか
普通の人間が1回で出来ることが
絶対に何度も何度も繰り返し失敗してから
ようやく出来るようなタチなので

“私はいつか特別な何者かになれるのだろうか”

という不安がずっとつきまとっていた。

結果的に言うと、何者でもなかった。
ごくごく普通の知的レベルでしかなく
富裕層になったわけでもなく
何かで大成功したわけでもなく

30歳になる手前で出産した子供を
手を抜いたり余所見したりした時期を経て
どうにかこうにか育て上げ

少しだけ文章を書くのが得意なので
物書きの端くれの、そのまた端くれのような
ことをして、夕方になれば

台所の流し台に立ち
ごぼうを黙々と洗い、野菜を洗い
夕飯の支度をする。

健康のために週4回運動をして
体脂肪と血圧を整え、風呂にゆっくり浸かり
静かに夜中まで読書して就寝。

何ひとつ、人生に於いて
特別な才能も必要ではない生活をしている。

でも、それがとても大切で心身ともに健康で
心が安らぐことに、いま心から満足している。

若い頃は(もっと本当は自分は出来るのでは)
(みんなのように何かを成し遂げなくちゃ)と

身の程知らずなことに
焦燥感でいつも落ち着かなかった。

だから今のように
穏やかで健康で安らぐ時間が
自分を満足させるとは思わなかった。

自分の機嫌を自分でとれるようになって
子育てが終わって、人生の終焉が見えてきて
ようやく歩いている道の先が見えてきた。

まったく特別でも何でもなくていい。
どこからか優先的に何かをしてもらわなくていい。

この、今の、体感している穏やかささえ
損なわれなければ、本当に普通でいい。

だからこそ自分の子供世代にも
過剰な期待や責任は負わせたくない。

それがどれだけ呪いの言葉になって
本人を縛るものか知っているから。

時には天候が荒れるだろうけれど
いつまでも手のひらに乗せて
飛び立たない鳥だと困る。

特別でなくても立派でなくても
エリートでなくても何でもいい。
本人が満足して生きてさえいてくれれば。

(ただしある程度の社会的概念は踏まえた上で。)

ああ、50年かかって、ようやく
本当の意味で解放されたこのメンタルは
何者にも替え難い。

私は、人生生きてきた中で
今の私がいちばん大好きです。

死ぬまでに気づけて良かった。